岩坂彰の部屋

第5回 翻訳について説明する

岩坂彰

前回、翻訳をサッカーに例えた話を書きましたら、読者の方から「サッカーに例えられても分かりません」というメールをいただきました。すみません。でも今回もサッカーの話からです。

新聞紙上等でも報道されていましたが、あるJリーガーがドーピング違反に問われた件で、国際スポーツ仲裁裁判所が出した裁定をめぐって、仲裁を申し立てた選手側と相手方のJリーグ側とで裁定文の解釈が食い違ってもめています。

問題になっている部分を引用します。

Whilst the Panel might be minded to accept that in all the particular circumstances of this case, the intravenous infusion was a legitimate medical treatment for Mr. Ganaha within the meaning of the 2007 WADA Code the Panel notes that at the time the J Leageu had not adopted those provisions of the WADA Code which related to sanctions.

当法廷としては、本件の独特の全ての事情の下で本件静脈内注入が「2007年WADA規程」の意味において我 那覇選手にとって正当な医療行為であったことを認容することについてはそういう意向になることもあるかもしれないところ、当法廷としては、その時点におい てJリーグは制裁に関係する「WADA規程」の関係条項を採択していなかったことを注記しておく。
Jリーグ参考訳より)

本パネルは、世界アンチ・ドーピング機構(WADA)2007年規程に照らすと、本件静脈内注入は、以上すべての本件の具体的な状況の下で、正当な医療行為に該当することを認める心証を持つことができる。
選手側弁護団会見資料より)

一見してJリーグのほうは、機械翻訳ですか?という印象ですが、これが「参考訳」だという点に注意してください。この種の文書では、正式に効力を持 つのはあくまで原文のみなので、「とりあえず参考までに」という含みで仮訳を付けることがあります。そういう意味では、わけの分からない日本語にしておい たほうが、かえって「これに基づいて考えてはいけない」ということが明確になってよいのかも……とはいいながら、ちょっとひどすぎませんか? でも、現場 に身を置いてみると、意に反してそうなってことってあるよなあ、と同情したくなる面もあるのです。今回はそのへんの話。

ちなみに選手側弁護団の訳ですが、問題になっているmight be minded toあたりの解釈はともかく、文書全体のロジックの組み立ての中で見てみると、ここだけ取り出しても「正しい」訳にはならないかも、という気がします。興味と時間がある方は裁定原文をどうぞ。

翻訳家は万能選手ではない

本当にJリーグが機械翻訳を使ったかどうかは分かりませんが、少なくとも翻訳に関わっている人間の手は通っているはずです。でもたぶん、ふだんはも うちょっと違うタイプの文書を扱っている方だったんじゃないでしょうか。そういう人が裁判の裁定文などというきわめて特殊な英文をいきなり訳せ(発表は即 日)と言われても、きっと古代ギリシア語を訳せと言われたのと変わらないくらい困惑するに違いないのです。身びいきな結論として言ってしまうと、問題はど ちらかというと、訳した人にあるのではなく、そういう人に依頼してしまう側にあります(キッパリ!)。でも、残念ながら世の中にはそういうことが分かって いない依頼人が多いんですね。

ふだん学術系のノンフィクションを訳している私にとっては、ビジネス文書も法的文書もそれこそGreek to meって感じなんですが、翻訳の仕事をしているということで、知人から「ちょっとこれ訳してくれない?」と、そんな文書を渡されることがあります。もちろ ん「ゴメン、できない」と答えるわけですが、どうしてできないのか、うまく説明できなくて困るのです。どう説明すれば分かってもらえるか、昔から悩んでい ました。で、(今回サッカーの件ということもあって、)こんな例え話はどうでしょうか。

「翻訳家」という ジャンルは「スポーツ選手」というようなレベルのくくりです。私はサッカー選手ですけど、あなたの依頼は野球です。人数が足りないから明日の草野球に助っ 人で来てくれない?くらいの話ならまあいいですけど、仕事を依頼となると、サッカー選手に、いきなりプロ野球の試合に出てくれと言っているようなものです よ……

同じアスリートです から、共通する要素はありますし、まったくスポーツをしない人よりはましかもしれませんが、プロの試合では絶対に通用しません。知らない人から見れば同じ 球技のサッカーとラグビーとアメフトも、あるいはテニスとバトミントンと卓球も、やってみれば全然違いますよね。

別にスポーツに例える必然性はなくて、例としては料理人でも写真家でもいいんですが、ともかく、ひとくちに翻訳といってもジャンルによって全然違うということを、もっと世の中の共通認識にしていく必要があると思います。

翻訳以前の問題として

もう少し根本的なところから説明するとしたら、翻訳以前のところで、こういうことは言えると思うんです。

法律の勉強をしたことのない普通の日本人には、日本語の法律文書を隅々まで理解することはできません。それは外国語も同じです。でも、翻訳をするには、隅々まで理解する必要があるんです。

専門用語の意味が分からないというだけではなくて、法律には法律の、医学には医学の、特有の話の組み立て方というものがあります(第4回に書いたロ ジックの流れです)。それに慣れていないと、いくら言葉の意味が分かっても、意図は読み取れません。(問題の裁定文のwhilstにしても、この譲歩が いったいどこに向かっているのか、この種の文書を読み慣れていない私には確信が持てません。全体を読んでみて、多分こういう方向だろうな、ということは素 人考えで言えますけれども。)

しかももう一つハードルがあって、仮に外国語と日本語双方の法律文書に慣れた人がそれを理解できたとしても、

日本語で読ませる相手が法律家でない場合は、普通の日本人に理解できる日本語にならないかもしれません

(このことは第3回の前半で触れました)。これも翻訳に限った問題ではなくて、専門家が一般向けの本を書こうとするときには起こりうることですね。

書籍の編集者ならだいたいこういったことは分かっていて、だから監修者と翻訳者を組み合わせるというようなことを考えるわけですが、翻訳を依頼する 人の幅は広がっています。翻訳にあまり馴染みのない人は、英語が読めて日本語が話せれば翻訳ができると思っているものです。そういう方々に、翻訳とはどう いうものかというのを、理屈ではなくてイメージでつかんでいただく努力というのは、これからもしていかなければならないと思っています。

翻って自分のことですが、こちらとしても「できません」と断るだけじゃなくて、ある程度自分の「守備範囲」を広げるにはどうしたらいいかということ も考えなくてはいけません。さしあたり法律分野に手を広げるつもりはありませんが、選手側は裁定文書の全文翻訳を「専門家」に依頼する意向のようですの で、それは是非読んでみたいですね。

(初出 サン・フレア アカデミー WEBマガジン出版翻訳 2008年6月23日号)